信じて待つということ——とある学生の母との対話から
- atsukokurumada
- 5 日前
- 読了時間: 5分
「子どもを信じて待つことができない自分を、どう律していけばいいのか——」
そんな問いが、私の胸に深く残りました。
先日、とある学生のお母さまとの対話の中で、こんな場面がありました。
お子さんが「就職する気のない企業のインターンシップ」に参加したことに対して、母として「そんな意味のないことに時間を割くくらいなら、ほかにやることがあるのでは」と否定的な言葉をぶつけてしまった。
その後、お母さまは後悔し、「私にとっては無駄と思うことでも、子どもにとっては違うのかもしれない」と振り返っておられました。
背景には、かつてお子さんが留年の危機に直面し、自ら奮い立って乗り越えた経験がありました。
その姿を見て「この子はやればできる」と確信した母は、再び安易な方向へと“流されるような生活”に戻ることへの不安を抱えていたのです。
母としての愛情と願いが、時に衝動的な言葉となってしまう。
支援者として、子を持つ母としての私は、その葛藤に深く共感しました。
ここからは、私からのアドバイスを以下に纏めてみました。

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1.支援者としての視点から見た「信じて待つ」ことの難しさ
支援者としての私は、相談者に対して「信じて待つ」ことができます。
けれど、身近な存在である家族に対しては、感情が濃く絡むぶん、距離の取り方が難しくなります。
その揺らぎは、愛しているからこそ生まれるもの。
➢「役割」ではなく「在り方」を軸にする
- 私のようにカウンセラーや支援者としての“役割”は、確かに信じて待つ力を与えてくれます。でも、もっと根底にあるのは「どう在りたいか」という“在り方”。
- 身近な人との関係でも、「私はこの人に対して、どんな存在でありたいか?」と問い直すことで、役割に縛られずに自分を律する軸が見えてくるかもしれません。
➢「待てない自分」を責めず、観察する
- 身近な人に対しては、感情が濃く絡むぶん、「信じて待つ」ことが難しくなるのは自然なことです。
- そのとき、「ああ、私はこの人の幸せを願いすぎて、先回りしたくなってるんだな」と、自分の動機を優しく観察するだけでも、律する力になります。
➢ “信じて待つ”の定義を柔らかくする
- 待つこと=何もしない、ではなく、「問いかけを続ける」「見守る」「小さなサインに気づく」など、能動的な“待ち方”もあります。
- 問いかけと信頼を軸にした関わり方なら、身近な人にも自然に届くはずです。
➢ 「距離」を意識的にデザインする
- 身近な人との関係では、距離が近すぎて見えなくなることもあります。そんなときは、あえて“第三者的な視点”を持つ時間をつくるのも有効です。
- 例えば、「この人が相談者だったら、私はどう関わるだろう?」と想像してみるだけでも、心のスペースが生まれます。
💎相談者との対話を通して、私は改めてこう感じました。
「信じて待つ」とは、ただ静かに見守ることではなく、問いかけを続け、理解しようとする姿勢を持ち続けることなのだと。
2.母としてのまなざしから見た「動いた事実」の価値
➢ 「不純な動機」と見えたものの裏にある“自分なりの挑戦”
- お子さんにとっては、「就職する気がない企業」だからこそ、気負わずに参加できたのかもしれません。それは、お母さまがかつて促していた「場数稽古」の精神そのもの。動機がどうであれ、「やってみた」ことが、次の選択への布石になるかもしれません。
➢ 「動機の純度」よりも、「動いた事実」の価値
- お母さまが大切にしているのは、「行動することの意味」ではないでしょうか。その視点で見れば、お子さんのインターン参加は、悩みの中で一歩踏み出した貴重な実践。
➢ 母としての“願い”と“見守り”のバランス
- お母さまが「不純だ」と感じたのは、お子さんの可能性をもっと信じているからこそ。でも、今こうして「場数稽古だった」と笑いながら振り返ることができるお母さまは、すでに“信じて待つ母”としての在り方を、柔らかく体現しているように思います。
💎つまり、お子さんは“母の願い”を、お子さんなりの形で受け取っていた可能性があります。
お母さまが「不純だ」と感じたインターン参加も、お子さんにとっては「気負わずに踏み出せる一歩」だったのかもしれません。
そしてこの対話における大きな成果は、お母さまがかつて促していた「場数稽古」の精神そのものであることへの気づき。
つまり、母の願いは、お子さんが受け取りやすい形で届いていた可能性があります。
3.揺らぎを言葉にする「律する力」と問い続ける姿勢
- 衝動的な言葉を後悔し、それを言語化する——
- 母としての揺らぎを言葉にし、振り返り、意味づけし直す——
その姿勢こそが、お子さんとの関係を育てる「対話の種まき」だと感じました。
支援者としての私も、母としての彼女も、どちらも「問い続ける人」。
その在り方が、誰かの変化と成長を照らす光になるのだと思います。
💎この対話を通して、私自身も「信じて待つ」ことの意味を、もう一度見つめ直すことができました。
そして、支援者としての在り方も、身近な人との関係も、少しずつ育てていける気がしています。
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お子さんをはじめとするご家族や身近な存在との関係に揺らぎを感じるとき、私たちは「信じて待つ」ことの意味を問い直すチャンスを得ているのかもしれません。
その問いを、誰かと分かち合いながら育てていけたら——そんな願いを込めて、今日の対話を綴りました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
今日一日が貴方様にとって良い一日となりますように!
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